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東京地方裁判所 昭和44年(行ウ)42号 判決 1977年3月24日

東京都中野区中央二丁目四番三号

原告

共同電気有限会社

右代表者代表取締役

松本政雄こと崔昌植

右訴訟代理人弁護士

小沢茂

東京都中野区中野四丁目九番一五号

被告

中野税務署長

右指定代理人

竹内康尋

鳥居康弘

榑林功

清水定穂

藤井正信

主文

1  被告が原告に対し昭和三九年一二月二五日にした昭和三八年七月分の源泉徴収に係る所得税金四一二、四七〇円の納税告知及び不納付加算税金四一、二〇〇円の賦課決定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文と同旨の判決

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二原告の請求の原因

一  原告は肩書地において電気器具の販売等を営む有限会社であるが、被告は昭和三八年七月原告が金一、七一三、二三七円を原告代表者の賞与として支給したものと認定し、昭和三九年一二月二五日旧所得税法(昭和二二年法律第二七号)第三八条、国税通則法第三六条の規定に基づき源泉徴収に係る所得税四一二、四七〇円の納税告知及び不納付加算税四一、二〇〇円の賦課決定(以下両者を合わせて「本件処分」という。)をした。

二  しかしながら、本件処分は後記第四の二記載のとおり違法であるからその取消しを求める。

第三被告の答弁

一  請求の原因に対する認否

請求の原因一の事実は認めるが、同二の主張は争う。

二  本件処分の根拠

(一)  被告所部係官が原告の法人税の調査を行ったところ、原告は、西武信用金庫本町通支店(当時の名称は協立信用金庫本町通支店。以下「西武信用金庫」という。)に別表一記載のとおり昭和三四年一〇月三一日から伊藤一郎名義等で日掛預金(以下「本件日掛預金」という。)をしているなど原告に帰属すると認められる別表二記載の多数の仮名預金、原告代表者の家族名義の預金(以下「本件仮名預金等」という。を有することを発見した。

(二)  原告代表者には、原告から支払われる給与及び不動産所得を合わせて別表三記載のとおり年間約六〇万円程度の所得があるのみであり、原告代表者の家族は原告代表者の扶養親族であって、同人等にはいずれもかかる各預金をなしうる資力はなく、したがって、これらの各預金が同人等に帰属するものとは認められなかった。

(三)  一方本件仮名預金等は預金の種別、預金の名義は異なっていてもこれらの預金の入出金状況、仮名預金間の振替の状況等からして相互密接な関連性をもって、一つのグループを組成している典型的な営業型の預金であって、別紙記載の理由によりすべて原告に帰属する預金であることが認められた。そして本件仮名預金等は原告の帳簿書類に記載されていない、いわゆる簿外預金であった。

(四)  被告は本件仮名預金等のうち、昭和三八年四月一五日に大石一郎名義の通知預金(預金元帳番号一四五一)から払いもどされた現金一、四五三、二一二円及び昭和三七年一〇月一〇日に伊藤一郎名義の通知預金(預金元帳番号一一七〇)から払いもどされた現金一、二七〇、八一〇円の合計金額二、七二四、〇二二円に関し、右金額のうち一、七一三、二三七円を原告代表者に対する賞与と認定した(以下「本件賞与」という。)すなわち、

1 原告は西武信用金庫に対し、伊藤一郎名義をもって昭和三七年九月八日から昭和三八年三月七日までの一八〇間について毎日八、〇〇〇円あての日掛預金を契約して預金(預金元帳番号四六二〇)をしてきたところ、満期日である昭和三八年三月七日に元本一、四四〇、〇〇〇円と当該期間中の利息相当額八、九二〇円の合計金額一、四四八、九二〇円をもって大石一郎名義の通知預金を設けた。その後同年四月一五日に前記のとおり、当額大石一郎名義通知預金から元本一、四四八、九二〇円と通知預金の預入期間中の利息相当額四、二九二円(利子所得に対する源泉所得税二二五円を控除した残額)との合計金額一、四五三、二一二円を現金で払いもどした。

2 原告は、伊藤一郎名義をもって昭和三七年三月八日から同年九月七までの一八〇日間について毎日七、〇〇〇円あての日掛預金をすることを契約して預金(預金元帳番号四二三一)をしてきたところ、満期日である昭和三七年九月七日に元本一、二六〇、〇〇〇円と当該期間中の利息相当額七、八〇〇円の合計金額一、二六七、八〇〇円をもって伊藤一郎名義の通知預金を設けた。その後同年一〇月一〇日に前記のとおり、当該伊藤一郎名義通知預金から元本一、二六七、八〇〇円と通知預金の預入期間中の利息相当額三、〇一〇円(利子所得に対する源泉所得税三三四円を控除した残額)との合計額一、二七〇、八一〇円を現金で払いもどした。

3 右大石一郎及び伊藤一郎名義通知預金(以下「本件通知預金」という。)の資金源となった日掛預金は、原告の日々の現金売上額の一部からされたものと認められる。しかして、原告は同族会社であって、原告代表者が原告の資本金五〇〇、〇〇〇円のうちその七〇%に相当する三五〇、〇〇〇円を出資し、かつ、当時実質的経営者であった(旧法人税法施行規則(昭和二二年勅令第一一一号)第一〇条の三第五項該当)から多数の仮名預金等を任意に設定解約し、また預金相互間の振替を行うなど当該預金を自己専一の管理下において操作し、容易に自己の恣意によって処分できる地位にあった。原告代表者は本件通知預金の払いもどしによる現金の使途について被告の調査に際しても何ら明らかにせず、また右現金は原告の資産を増加せしめる支出あるいは負債を減少せしめる支出に充てられた事実はなく、また原告の簿外費用の支払に充てられたと認められる事実も、あるいは原告に返還した事実も存在しなかったから、原告代表者が当該払いもどし現金の合計額二、七二四、〇二二円を消費したものと認められる。したがって、被告が当該合計金額を下回る一、七一三、二三七円を原告代表者に対する賞与と認定した本件処分は適法である。

第四被告の答弁に対する原告の認否及び主張

一  原告の認否

(一)  第三の二(一)の事実のうち、被告所部係官が原告の法人税の調査を行ったこと、西武信用金庫に別表一記載の日掛預金が行われていたこと、別表二記載の預金のうち順号6、20、21、24、26、27、35、39、50、51、76、77、を除くその余の預金の存在は認める。順号6、20、21、24、26、27、35、39、50、51、76、77の預金の存在については知らない。その余の事実は否認する。別表二記載の預金のうち順号9ないし13、28ないし32、52ないし56は原告代表者の子供等に帰属する預金である。同1ないし、5、7、8、14ないし19、22、23、25、33、34、36ないし38、40ないし49、57ないし75、78ないし83は原告代表者に帰属する預金である。

(二)  同(二)の事実は否認する。

(三)  同(三)の事実のうち、別表二記載の預金のうち順号1、3ないし5、14ないし18、33、34、36、57、58につき同2と同一印章であること、同49につき同50と同一印章であること、同9ないし12、28ないし31、33、34、36、48、52ないし55、59、61、78ないし83につき被告主張の同一名義であることは知らない。同13、40ないし44、46、56、62ないし66、68ないし75につき被告主張の振替の事実は否認する。別表四(一)(二)、別表五記載の事実は認める。別表四(三)記載の事実は知らない。山田とく名義の普通預金は原告又は原告代表者に帰属するものではない。別表四(一)のうち番号1、2、16、19、27、29、44、45、53、同(二)のうち番号3、4は原告代表者の貸付金の回収金を入金したもの、その余は原告の商品代金、工事代金の支払として原告に支払われた小切手等を原告代表者が現金化するため原告代表者の右預金口座に入金したものである。別表五は原告が原告代表者から資金を借入れたものである。その余の主張は争う。

(四)  同(四)の事実のうち被告が被告主張のとおり原告代表者に対する賞与と認定したこと、同1、2記載の事実、3のうち原告が同族会社であること、原告代表者が資本金の七〇%を出資していることはいずれも認める。その余の主張は争う。本件処分当時の原告代表取締役は新山禎美であって、原告代表者は一従業員にすぎなかった。

二  原告の主張

(一)  本件処分は、次に述べるような違法な調査に基づくものであるから違法である。すなわち、被告は、原告に対し昭和三八年秋ごろから翌三九年七月ごろまで徹底した調査を行うとともに、原告と取引のあった西武信用金庫、仕入先等を徹底的に調査し、あるいは原告代表者に対する思想調査を行うなどしたため、原告はその信用を著しく失墜させられ、また中野民主商工会(以下「中野民商」という。)税対部長を担当していた原告代表者に脱会勧告を行いやむなく脱会するに至らしめた。かかる調査は中野民商の弾圧の一環として行ったものである。

(二)  本件仮名預金等は、原告に帰属するものではない。したがって、本件通知預金の払いもどし金を原告代表者が取得したとしても、原告代表者に対する賞与と認定されるいわれはない。すなわち、

原告代表者は、昭和三四年ごろから原告の営業所を鉄筋ビルに建て直す計画を立て、かねてより伊藤一郎名義で預金取引のあった西武信用金庫から三年以上日掛預金をすることを条件に融資が受けられることとなった。そこで原告代表者は、昭和三四年ごろから同三七年ごろまでの間に返済を受けた一、八〇〇、〇〇〇円の貸付金の回収金、昭和三六年ごろから同三八年までの六口の借入金計五、四三〇、〇〇〇円を資金源とし、日掛預金を始めた。そして、多数の架空名義等を使用して預金口座を設定したのは西武信用金庫の担当者小野斉昭が同人の成績を上げるため、ないしは各種預金のバランスを計る同金庫の政策によるものであって、原告代表者の意思によるものではなかった。

(三)  本件通知預金の払いもどし金の使途は次のとおりであるから、原告代表者に対する賞与と認定されるいわれはない。すなわち、

1 大石一郎名義通知預金の払いもどし金のうち、昭和三八年四月一八日に三〇〇、〇〇〇円、同月二五日に一〇〇、〇〇〇円をそれぞれ大石一郎名義の普通預金に入金し、さらにそのころ一、〇〇〇、〇〇〇円は「大石」の印鑑を使用して無記名定期預金(期間六か月)を設定し、右預金は同年一〇月三〇日「森本」の印鑑による無記名定期預金(期間一年、預金元帳番号A二三二〇)とした。以上の合計一、四〇〇、〇〇〇円の残余は日掛預金に預け入れた。

2 伊藤一郎名義通知預金の払いもどし金のうち、四四三、〇〇〇円は昭和三七年一〇月一〇日原告に貸付けて原告の当座預金に入金し、四六〇、〇〇〇円は何らかの名義で定期預金(期間三か月)とし、右定期預金がその後大石一郎名義の定期預金(別表二順号78)となった。右計九〇三、〇〇〇円の残額の処理は不明であるが、これを原告代表者が取得したことはない。

(四)  本件処分は当時の所得税基本通達二〇五の(八)に違反するから違法である。すなわち、支払の日が明確でない認定賞与は、法人の当該事業年度の決算確定の日、決算確定の日が明らかでない場合は当該事業年度終了の日から二か月を経過する日を税額が確定する日とすべきものである。したがって昭和三八年七月に認定賞与が支払われ、同時に税額が確定したものとしてされた本件処分は違法である。

第五原告の主張に対する被告の認否及び反論

一  被告の認否

原告主張の第四の二(一)の事実のうち被告が原告、西武信用金庫及び仕入先等を調査したことは認めるが、その余の事実は否認する。その主張は争う。同(二)の事実のうち西武信用金庫において伊藤一郎名義の預金取引のあったことは認めるが、建築計画、融資条件については不知、その余の事実は否認する。同(三)の事実のうち、昭和三八年四月一八日に三〇〇、〇〇〇円、同月二五日に一〇〇、〇〇〇円が各大石一郎名義の普通預金口座に入金されていること、昭和三七年一〇月一〇日四四三、〇〇〇円が原告の当座預金に入金されていること、大石一郎名義の定期預金四六〇、〇〇〇円(別表二順号78)が存在したことは認めるが、その余の事実は否認する。同(四)の主張は争う。

二  被告の反論

(一)  原告に対する調査が比較的長期にわたったのは、仮名預金が多数設定されていたのに原告が該預金の説明をするなどの協力をしなかったためであり、他の納税者に対する調査と何ら変るところなく実施されたものであって、いわゆる他事考慮よりされたものではない。

(二)  原告がその主張のような貸付金の回収金及び借入金を有していた事実は認められないのみならず、仮にそうだとしても多額の現金を手元に保管しながら一方で日掛預金をするということは極めて不自然である。もし西武信用金庫の信用を得る必要があるなら、当該金員をもって固定性預金としたはずである。原告は日々不特定多数の顧客から現金売上げを得ていたこと、日掛預金は日銭収入がある者が行うのが通例であることなど本件日掛預金は原告の毎日における現金収入から積み立てられたことが明らかである。また預金の振替、名義の変更等預金操作は原告の指示又は了解の下に行われており、預金口座名義を分割することにより小野の成績が上がるものでないことも当然である。

(三)  原告の主張によると大石一郎名義通知預金は何らの目的もなく漫然と払いもどされ金利の低い普通預金に振り替えられたことになり、しかも右振替は右通知預金が払いもどされてから大石一郎名義の普通預金に入金されるまで三日ないし一〇日の期間があり、その間に右大石一郎名義通知預金から払いもどされた現金がどのように管理されていたのか判明していないのであるから、右普通預金に入金された三〇〇、〇〇〇円及び一〇〇、〇〇〇円は同払いもどし金とは無関係な資金によってされたものとみるべきである。

(四)  本件処分が所得税基本通達二〇五の(八)に違反する旨の主張は、次の理由により失当である。

1 そもそも通達は、上級官庁が下級官庁に対し職務運営の細目的事項又は法令の解釈・運用の方針などに関する示達事項などを内容として発せられるものであって(国家行政組織法第一四条第二項参照)、法規としての性質を有するものではないから、下級官庁が通達に違反しても、その行為の法律上の効力には直接影響を及ぼすものではない。したがって、被告が、本件処分について仮に所得税基本通達二〇五の(八)の趣旨と異なる取扱をしたとしても、本件処分がただちに違法となり取り消されるべき処分となるものではない。

2 被告が本件賞与につき収入すべき金額が確定する時期(以下「本件賞与の確定時期」という。)を昭和三八年七月三一日と認定したのは次の理由によるものである。

旧法人税法(昭和二二年法律第二八号)第一八条によれば、法人は各事業年度終了の日から二か月以内に、その確定した決算に基づき当該事業年度の課税標準たる所得金額及び当該所得に対する法人税額を記載した申告書を政府に提出しなければならないことになっているが、ここで「確定した決算に基づき」とは、株主総会等の承認を得た計算書類に基づくことである(商法第二八一条、第二八三条第一項、有限会社法第四三条、第四六条第一項)。

ところで、いわゆる簿外の預金を当該法人の代表者等が個人的支出に充て法人の代表者等の賞与であると認定されたものは、決算期末における計算書類には登載されないものであるから、株主総会等の承認を得ることはない。したがって、認定賞与に係る源泉所得税の納税すべき税額が確定する時期についてはその法人の決算の確定とは別個に考察すべきものである。

これを本件についてみるに、本件処分は、本件通知預金の払いもどしに基づくものであるが、当該預金の払いもどしについて、原告帳簿に何ら記載されず、また、原告はこれについて明確な答弁をしなかったため右通知預金の払いもどし額が、いつ原告代表者に帰属したのか明確にならなかった。そこで、被告は、法人所得に係る法人税の納税義務が事業年度の終了の時に成立する(国税通則法第一五条第二項第三号)こと、源泉徴収等による国税は、納税義務の成立と同時に特別の手続を要しないで納付すべき税額が確定する。(国税通則法第一五条第三項第二号)こと及び本件処分が原告の所得に基づいてなされたものであることなどにかんがみ、本件賞与に係る源泉所得税の納税すべき税額が確定する時期を原告の法人税の納税義務が成立した事業年度終了の時と解したものである。

3 本件賞与の確定時期が仮に原告の主張のとおり昭和三八年九月末日であるとしても、次の理由により、原告の納付すべき税額又は附帯税の額は、本件処分額と同額であり、かつ、原告がこれらの税額を納付する日に差異はないのであるから、本件賞与の確定時期を昭和三八年七月末日としてなした本件処分によって、原告はなんら不利益を受けるものではない。

イ 本件処分の本税は、本件賞与の確定時期が昭和三八年九月末日であっても、また、同年七月末日であっても、ともに、昭和三八年分の所得税について適用される旧所得税法の規定により課税されるものであるから、右賞与の確定時期によって本税額に差異は生じない。

ロ 本件処分に係る不納付加算税の金額は、「納税の告知に係る税額に百分の十の割合を乗じて計算した金額」であって、本件賞与の確定時期が昭和三八年九月末日であっても、同年七月末日であっても同額となる。

ハ さらに、本件処分により納付することとなる延滞税の金額は、国税通則法第六〇条第二項の規定により「国税の法定納期限の翌日からその国税を完納する日」までの期間を基礎として計算されるのであるが、同法第六一条第二項第一号によれば、「法定納期限から一年を経過する日後に納税告知書が発せられた国税」については、「その法定納期限から一年を経過する日の翌日から当該告知書が発せられた日までの期間」を右延滞税の計算の基礎となる期間から控除することになっているところ、本件処分に係る納税告知書が発せられた日は、昭和三九年一二月二五日であるが、本件賞与の確定時期を昭和三八年九月末日とした場合と同年七月末日とした場合における法定納期限及び延滞税の計算の基礎となる期間とを対比すれば別表六のとおりである。

右表に示したごとく本件処分に係る延滞税の計算の基礎となる期間の日数は、両者とも全く同一であるから、延滞税の額は同額となる。

ニ さらにまた、原告が、本件処分に係る本税及び附帯税を納付する日は、本件納税告知書が発せられた日(昭和三九年一二月二五日)以後において原告が納付することとした日であるから、本件賞与の確定時期が昭和三八年九月末日であっても同年七月末日であっても、なんら差異はない。

第六証拠関係

一  原告

(一)  提出した甲号証

甲第一号証ないし第四号証、第五号証の一、二、第六号証、第七号証の一ないし四、第八号証の一、二、第九号証、第一〇号証、第一一号証の一ないし六、第一二号証の一ないし五、第一三号証、第一四号証の一ないし六、第一五号証の一ないし七、第一六号証の一ないし六、第一七号証及び第一八号証の各一、二、第一九号証、第二〇号証の一、二、第二一号証の一ないし三並びに第二二号証

(二)  援用した証言等

証人崔鳳植、同韓銖燮、同都京子、同松岡寛の各証言及び原告代表者尋問の結果

(三)  乙号証の成立の認否

乙第五五号証ないし第六二号証、第六九号証の成立は知らない。その余の乙号各証の成立(第一号証ないし第三六号証、第六六号証の一、二、第六七号証の一ないし三、第七〇号証及び第七一号証の各一、二については原本の存在並びに成立)は認める。

二  被告

(一)  提出した乙号証

乙第一号証ないし第六二号証、第六三号証の一、二、第六四号証、第六五号証、第六六号証の一、二、第六七号証の一ないし三、第六八号証、第六九号証並びに第七〇号証及び第七一号証の各一、二

(二)  援用した証言

証人富永英一、同阿達和丸(第一、二回)及び同小野昭の各証言

(三)  甲号証の成立の認否

甲第四号証、第五号証の一、第七号証の二ないし四、第八号証の一、第一七号証及び第一八号証の各一、二、第一九号証、第二〇号証の一、二、第二一号証の一ないし三並びに第二二号証の成立は知らない。その余の甲号各証の成立は認める。

理由

一  請求の原因一の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件処分が違法であるかどうかについて判断する。

(一)  原因は、被告は原告に対し徹底した調査を行い信用を失墜させ、また中野民商を脱退するに至らしめるなど本件処分は中野民商弾圧の一環として行つた違法な調査に基づくものであるから違法であると主張する。

証人富永英一、同阿達和丸(第一回)の各証言によれば、原告の昭和三四年八月一日以降の四事業年度を対象とする原告及びその取引先に対する税務調査は昭和三八年一一月ごろから約一年余り行われたこと、原告代表者尋問の結果によれば、現原告代表者崔昌植(当時の原告代表者は名義上新山禎美であつたが、崔昌植が実質的代表者であつたことは、後記認定のとおり。以下崔昌植をたんに原告代表者という。)は右調査当時中野民商税対部長の地位にあつたが、昭和三九年五、六月ごろ民商を脱会したことが認められる。しかしながら、右各証言によれば、原告の取引銀行たる西武信用金庫に原告の簿外預金と思われる多数かつ多額な仮名預金等が存在し、多額な売上げ脱漏のあることが推認されたため西武信用金庫及び仕入先等の調査に相当の期間を要したこと及び富永証人の証言によれば原告代表者に対し民商脱会を勧告した事実はないことが認められる。原告代表者は右調査は民商弾圧のための調査であると供述するが、富永証人の証言と対比し採用し難く、他に原告主張事実を認めるに足る証拠はない。よつて原告の右主張は理由がない。

(二)  被告は原告の簿外預金である本件通知預金の払いもどし金を原告代表者が取得したと主張するので、まず本件通知預金が原告の簿外預金と認められるかどうかについて判断する。

1  被告所部係官が原告の法人税の調査を行つたこと、西武信用金庫に別表一記載のとおり昭和三四年一〇月三一日から伊藤一郎名義等で日掛預金が行われていたこと、西武信用金庫に別表二記載の預金のうち順号6、20、21、24、26、27、35、39、50、51、76、77を除く預金が存在していたこと、別表四(一)(二)記載のとおり伊藤一郎、大石一郎名義の普通預金口座に小切手等の入金のあつたこと、別表五記載のとおり伊藤一郎名義の普通預金口座から原告の公表預金口座に振替が行われたことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  被告は別表二記載の預金はすべて原告の簿外預金であると主張し、これに対し原告は別表二記載のうち順号1ないし5、7、8、14、ないし19、22、23、25、33、34、36ないし38、40ないし49、57ないし75、78ないし83は原告の簿外預金ではなく原告代表者に帰属する預金であると主張する。

(1) しかしながら、原告が原告代表者の預金であると主張する右各預金の期中増加額を集計すると、昭和三四年八月一日ないし同三五年七月三一日の事業年度には七九二、二六三円、昭和三五年八月一日ないし同三六年七月三一日の事業年度には八三四、八二九円、昭和三六年八月一日ないし同三七年七月三一日の事業年度には二、六九四、〇一七円、昭和三七年八月一日ないし同三八年七月三一日の事業年度には一、二五六、六六二円の期中の増加が認められるところ(その合計は五、五七七、七七一円となる。)、成立に争いのない乙第三七号証、第三八号証によれば、原告代表者の昭和三四年分ないし同三八年分の総所得金額は別表三記載のとおりであること、原告代表者の家族のうち五名は原告代表者の扶養親族であつたことが認められる(原告代表者に他に所得があつたと認めるべき証拠はない。)から、これらの者の生計費を考慮すれば、原告代表者が昭和三四年ないし同三八年の間に原告が原告代表者に帰属すると主張する右各預金(この中には本件日掛預金のうち預金元帳番号三九九四を除く各日掛預金が含まれる。)をする余裕があつたと認めることは困難である。

(2) この点について原告は、原告代表者個人が昭和三四年ごろから同三七年ごろまでに返済を受けた一、八〇〇、〇〇〇円の貸付金の回収金、昭和三六年ごろから同三八年までの六口の借入金計五、四三〇、〇〇〇円を資金として日掛預金をし、これを条件として西武信用金庫からビルの建築資金二四、〇〇〇、〇〇〇円を借り受けたと主張する。

証人崔鳳植の証言により真正に成立したと認められる甲第四号証によれば、崔鳳植は昭和三四年六月原告代表者から開店費用として、二、〇〇〇、〇〇〇円を借用し、昭和三七年までに何十回に分けて一、八〇〇、〇〇〇円を返済した旨の昭和三九年九月一二日付借用証が作成されていることが認められ、右証言及び原告代表者尋問の結果中にはこれにそう部分がある。しかしながら、同証言によれば同証人は原告代表者の弟と認められるところ、金銭貸借、返済能力及び返済に関する同証言は極めてばく然としており、右書面が作成された経緯も明確でなく、また前示原告代表者尋問の結果もにわかに措信し難く、はたして右書面に現れたような金銭の授受があつたかどうかは極めて疑わしいといわなければならない。

成立に争いのない甲第五号証の二、原告代表者尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第五号証の一によれば原告代表者は昭和三六年八月一〇日韓から七〇〇、〇〇〇円を弁済期昭和四三年七月一〇日無利息の約束で借り受けた旨の借用証及び昭和四〇年三月三一日付で同旨の債務弁済契約公正証書(ただし、借受けの日は昭和三六年八月一日付)が作成されていること、成立に争いのない甲第六号証によれば原告代表者は崔次孝から昭和三六年九月一〇日ないし同三八年一月一一日の間に借受けた債務が昭和四〇年四月八日現在一、八三〇、〇〇〇円であることを確認し、弁済期昭和四五年一二月三一日利息日歩二銭三厘とする旨の債務弁済契約公正証書が昭和四〇年四月八日付で作成されていること、成立に争いのない甲第七号証の一、証人京子の証言及び原告代表者尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第七号証の二ないし四によれば原告代表者は金鐘楽から昭和三七年一一月五日一、〇〇〇、〇〇〇円を弁済期昭和四一年五月四日利息日歩二銭六厘の約定で借り受けた旨の昭和四〇年四月六日付金銭消費貸借契約公正証書、同旨の昭和四一年五月一日付債務弁済契約書(公証人の確定日付は同四二年一一月二一日付)、昭和三七年一一月五日付金銭借用書(ただし、債務弁済契約書及び金銭借用書記載の利息は年八分)及び昭和四四年一二月一一日元利合計一、五七〇、〇〇〇円を領収した旨の領収書が作成されていること、成立に争いのない甲第八号証の二、原告代表者尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第八号証の一によれば、原告代表者は橋本和男から昭和三八年二月五日九〇〇、〇〇〇円を弁済期同四四年五月三〇日の約定で借り受けた旨の借用証及び同四〇年四月二日付債務弁済契約公正証書が作成されていることがそれぞれ認められる。

しかしながら、原告代表者尋問の結果によれば、韓銖燮は原告代表者の義弟、崔次孝は原告代表者の父、金鐘楽は原告代表者の父の友人、橋本和男は原告の従業員の父であることが認められるところ、韓との貸借について韓証人は原告代表者がビルを建築した場合にビルの一室を提供してもらう条件で貸付けたと証言する一方、提供を受けるべき部屋の構想も抽象的なものにとどまり、ビルが完成しても部屋の提供を受けておらず、貸借当時は何らの借用証書もとらず、その後に作成された借用証書記載の弁済期を三年余も過ぎた昭和四七年四月に利息に見合う金員も合わせて一、〇〇〇、〇〇〇円の返済を受けたが領収証も書いていないと証言する等矛盾や不自然な点が多く右証人の証言は措信できない。金鐘楽との貸借についても、一、〇〇〇、〇〇〇円の出所に関する都証人の証言は不自然な点が多いのみならず、阿達証人の証言(第一回)によつて認められるところの調査当時の被告係官に対する供述とも異なつており採用し難い。また原告主張の借入れが真実であるとするならば当時としてはかなりの金額の貸借であるのに、父崔次孝はともかくとし、その他の債権者が何ら債権担保の手段を講じていないことは奇異の感を免れないし、公正証書の作成がいずれも金銭を借用したとする日の二年余ないし三年余もの長期間を経過した後であり、しかも本件処分及び原告の昭和三四年八月一日以降の四事業年度の法人税更正に対する異義申立書受付の日である昭和四〇年一月一九日(右受付日は成立に争いのない甲第一二号証の一ないし五により認められる。)以降に作成されていることは極めて不自然である。原告代表者は公正証書を作成したのは被告の要求によるものであると供述するけれども、到底措信することができない。

さらに成立に争いのない甲第一三号証、原本の存在及び成立について争いのない乙第七〇号証及び第七一号証の各一、二、富永証人の証言並びに阿達証人の証言(第一回)によれば、被告所部係官が原処分に係る調査に際し本件仮名預金等の帰属につき質問した際、原告代表者は当初は右仮名預金等は呉永楽及び須田容次からの借入金計五、〇〇〇、〇〇〇円がその資金源である旨申し立て借用証書等を提出したが、昭和三九年一一、一二月の調査の際にはこれを撤回し、仮名預金等の大部分は原告の売上金を除外して積み立てたものであると申し立て、更に異議申立ての段階で本訴におけるとほぼ同様の主張をした事実が認められ、これによれば右主張を裏付ける手段として異議申立ての段階で急きよ前記各公正証書を作成したとみるのが相当である。

また原告代表者は右借入金等を手元に保管しながら本件日掛預金をしたと供述するが、多額の現金を自己の住居に長期間保管しながら日掛預金をするというようなことは極めて不自然であり、もし借入金等により多額の現金が手元に保管されているとするならば、当然当該金員をもつて定期預金の固定性預金としたはずである。したがつて原告代表者の右供述は到底措信することができず、右借入金等をもつて本件日掛預金としたとする原告の主張は採用することができない。そして、原告は電気器具販売業者であつて日々現金売上げを得ているところ、日掛預金は日銭収入がある者が行うのが通例であるから、他に日掛預金の資金源を認めるべき証拠がない以上、原告代表者は原告の現金収入から本件日掛預金を行つていたと推認するのが相当である。証人松岡寛の証言及び原告代表者尋問の結果中右認定に反する部分は採用し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(3) 原告は多数の架空名義等を使用して預金口座を設定したのは西武信用金庫の担当者小野が同人の成績を上げるためなど西武信用金庫側の事情によると主張する。

しかしながら証人小野斉昭の証言により真正に成立したと認められる乙第六九号証及び同証言によれば、小野は原告の指示又は了解なしに預金名義を変えたり、預金相互間の振替を行つたことはなかつたこと、預金口座名義を分割することによつて小野の成績があがるものではないことが明らかである。松岡証人の証言及び原告代表者尋問の結果中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして採用することができない。

(4) ところで第三の二(四)12記載の事実は、当事者間に争いがない。

本件通知預金の原資となつた伊藤一郎名義の日掛預金(別表一預金元帳番号四二三一及び四六二〇)も原告の収入から流出され預け入れられたと推認すべきこと前認定のとおりであるが、さらに次の事実を合わせるとその名義等からしても原告に帰属する預金であることは明白である。

すなわち、前記のとおり右日掛預金と同一名義である伊藤一郎名義の普通預金口座(預金元帳番号一六四七・別表二順号2、8、25、47)に別表四(一)記載のとおり小切手等の入金があり、また別表五記載のとおり右普通預金口座から原告の公表預金口座に振替が行われていることは当事者間に争いのないこと前示のとおりであるが、成立に争いのない乙第四〇号証ないし第五四号証及び富永証人の証言によれば右小切手等は原者の取引先が原告の売上代金の支払として振出した小切手等であり、これらの小切手等には原告自身が裏書して入金しているもの二六枚が含まれていることが認められる。

この点について原告は、別表四(一)のうち一部は原告代表者の貸付金の回収金を入金したもの、その余は原告の商品代金等の支払として原告に支払われた小切手等を原告代表者が現金化するため原告代表者の右預金口座に入金したもの、別表五は原告が原告代表者から資金を借入れたものであると主張する。

しかしながら、右小切手等の入金が貸付金の回収であることを認めるに足る証拠はないし、また原告には公表預金口座が存在したから、原告に対して支払われた小切手をわざわざ原告に帰属しない預金口座に入金する理由についても何ら首肯するに足る説明はない。したがつて、伊藤一郎名義の右普通預金口座は原告の簿外預金口座と認めるのが相当である。右認定に反する松岡証人の証言、原告代表者尋問の結果は採用しない。

次に、原本の存在及び成立に争いのない乙第二号証、第三号証、第五号証及び第一二号証によれば、別表一の預金元帳番号三二二八、三四一〇、三五八七の伊藤一郎名義の各日掛預金の元帳においても原告の簿外預金と認められる前示伊藤一郎名義の普通預金口座の元帳に届け出られていると同一の印章が届け出られていることが認められる。

したがつて、右伊藤一郎名義の右各日掛預金も原告に帰属する預金であり、これと同一名義の預金元帳番号四二三一、四六二〇の各日掛預金も原告に帰属し、したがつて、これから振り替えられた本件通知預金もまた原告に帰属する預金であるというべきである。

(三)  次に原告代表者が本件通知預金の払いもどし金を取得したかどうかについて判断する。

1  原告代表者が原告の資本金の七〇%を出資していたことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証、富永証人、小野証人の各証言及び原告代表者尋問の結果によれば、本件通知預金の払いもどしが行われた当時原告の代表者は新山禎美であつたが、これは原告代表者が朝鮮人であつたため取引先の信用を得るため名義を借用しただけにすぎず、当時から原告代表者が実質的代表者として経営に従事していたことが認められるから、原告代表者は旧法人税法施行規則第一〇条の三第五項の「役員」に該当するというべきである。

2  阿達証人の証言(第一、二回)によれば、被告所部の係官阿達は本件通知預金の払いもどし金の行方を追及したが、西武信用金庫の預金に預け入れられた形跡も、他の銀行に預け入れられた形跡もなく、原告が不動産の取得、会社の設備等の支出に充てたり、借入金の返済に充てた様子もうかがわれなかつたこと、簿外経費の支出についても、少額の簿外仕入れについては全くないとは確認できなかつたが、多額の簿外経費の支出に充てた事績は見当たらなかつたこと、原告代表者もこの点については明確な答弁をしなかつたこと、また原告代表者のためにこれを費消したと認めるに足る事績も発見し得なかつたこと、結局具体的な使途がわからないまま原告代表者が費消したと認定したことが認められる。

3  これに対し原告は、大石一郎名義通知預金の払いもどし金のうち、昭和三八年四月一八日に三〇〇、〇〇〇円、同月二五日に一〇〇、〇〇〇円をそれぞれ大石一郎名義の普通預金に入金し、さらにそのころ「大石」の印鑑による一、〇〇〇、〇〇〇円の無記名定期預金を設定(これは同年一〇月三〇日「森本」の印鑑による期間一年間同額の無記名定期預金となる。)し、残余は日掛預金に預け入れ、伊藤一郎名義通知預金からの払いもどし金のうち四四三、〇〇〇円は昭和三七年一〇月一〇日原告に貸付け原告の当座預金に入金し、四六〇、〇〇〇円は何らかの名義で定期預金(期間三か月)を設定(その後大石一郎名義の定期預金となる。)したと主張する。

昭和三八年四月一八日に三〇〇、〇〇〇円、同月二五日に一〇〇、〇〇〇円が各大石一郎名義の普通預金口座に入金されていること、昭和三七年一〇月一〇日四四三、〇〇〇円が原告の当座預金に入金されていること、大石一郎名義の定期預金四六〇、〇〇〇円が存在したことは当事者間に争いがなく、松岡証人及び小野証人の各証言により真正に成立したと認めうる甲第一七号証の一、二及び各証言によれば、昭和三九年一〇月三〇日満期の「大石」の印鑑による一、〇〇〇、〇〇〇円の無記名定期預金が存在したことがうかがわれる。

ところで、これらの預金が本件通知預金の払いもどし金によるものであるか否かにつき松岡証人は西武信用金庫の担当者小野斉昭とでそのように確認した旨供述をするけれども、小野証人の証言と対比しても措信し難く、結局原告主張にそう松岡証人の証言はいずれも同人の推測を述べたにすぎないものと認められ、原告主張事実を認めるに足るものとはいえない。しかして、大石一郎名義の右三〇〇、〇〇〇円及び一〇〇、〇〇〇円の普通預金については、大石一郎名義通知預金の払いもどしのされた日時と普通預金に預け入れられるまでの日時との間に三日ないし一〇日の期間があり、その間に右通知預金から払いもどされた現金がどのように管理されていたのかは判然としないから、右各普通預金が大石一郎名義通知預金の払いもどし金によつて充てられたことを認めることはできない。また原告主張の昭和三八年四月に「大石」の印鑑による一、〇〇〇、〇〇〇円の無記名定期預金が設定されたことを認めるに足る証拠はなく、かえつて、前掲甲第一七号証の一、二及び小野証人の証言によれば昭和三九年一〇月三〇日無記名定期預金が満期になつた後「森本」の印鑑で継続したことがうかがわれるのであつて、いずれにせよ、前記昭和三九年一〇月三〇日満期の無記名定期預金がいずれの資金により預け入れられたかは不明である。残余が日掛預金に預け入れられたことを認めるに足る証拠もない。

4  そうすると本件通知預金の払いもどし金の使途は結局不明であるといわざるを得ない。

ところで、会社の簿外預金の払いもどし金を会社役員の認定賞与と認めるには、会社役員がこれを何らかの形で取得したことが積極的に立証されるか、少くともそれを推認するに足る事実が立証されることが必要であるというべきであり、このことは会社役員が簿外預金を自己の管理下において自己の意思により処分できる地位にある場合においても同様である。しかるに本件においては、払いもどし金の使途は不明であるというだけで、合計二百数十万円という当時としてはかなりの大金であるのにかかわらず、その一部についてすら、原告がこれを取得した事実についてのみならず、取得を推認するに足る事実についての証拠も全く存在しない。そうすると、原告が原告代表者に賞与を支給したものと認定していた被告の本件処分は、その余の点を判断するまでもなく違法であるといわなければならない。

三  よつて、原告の本訴請求は理由があくからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟決第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三好達 裁判官 時岡泰 裁判官 成瀬正己)

別表 一

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別表 二

(一) 自昭和三四年八月一日至昭和三五年七月三一日事業年度

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(二) 自昭和三五年八月一日至昭和三六年七月三一日事業年度

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(三) 自昭和三六年八月一日至昭和三七年七月三一日事業年度

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(四) 自昭和三七年八月一日至昭和三八年七月三一日事業年度

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(注) 期中増減欄の△印は減額を表わす。

別表 三

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別表 四

(一) 伊藤一郎名義の普通預金(預金元帳番号一六四七・別表二順号2・8・25・47)に入金されたもの

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(二) 大石一郎名義の普通預金(預金元帳番号二九一九・別表二順号48)に入金されたもの

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(三) 山田とく名義の普通預金(預金元帳番号二五五〇・別表二順号26・50)に入金されたもの

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別表 五

伊藤一郎名義の普通預金(預金元帳番号一六四七・別表二順号8・25・47)から、

原告の公表預金に振り替えられたもの

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別表 六

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別紙

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